国立筑波大学附属高等学校文化祭「桐陰祭」作品

★タイタニック★

 東京都の筑波大学附属高校のモザイクアートは「タイタニック」です。文化祭第一日目は外で飾られ、二日目は体育館内で展示されました。
 この大きな作品は文化祭開催中、生徒や来校者など多くの人たちの注目を浴びました。当日は風の強い日であったため、修復が必要な事態になるハプニングもありましたが、大好評であったということです。
 実行委員を中心に6月より計画して、夏休み期間を中心に作品を制作しました。一時はその一部だけの展示にすることも考えたり、進まぬ状況に焦ったりとありましたが、途中の様々な苦労を乗り越えてこのサイズまで仕上げました。制作した委員は「見てくれた人がとても感動してくれたのでよかった」、「来年もまたやりたい」との感想。制作に携わった生徒の努力の結晶です。


モザイクアート制作記 〜文化祭実行委員企画局局長レポートより〜
 委員会が本格的に始まらないうちにアンケートという形で2年生と3年生に応えてもらった。色々と考えが述べられていた中で「装飾をもっとやってほしい」、「文化祭のシンボル的存在がほしい」などという回答がいくつか見受けられた。さらに1年生の局員が決まったところでみんなにまず今年の桐陰祭でやりたいことを募ったところ後輩の一人が缶で絵をつくりたいという案を持ってきてくれた。ただ缶は都内の場合回収してもらうのにお金がかかるのと集めるのが困難なことから他にいい案がないかどうか私なりに調べたところインターネットで「企画ネタ集」というのを見つけた。そしてその中に「モザイクアート」というものを発見した。
 その後局員に資料(ホームページを印刷したもの)を見せて意見を聞いた。そこでさらに局員と話したところタイタニックがいいのではないかという結論に達した。他にも色々と出たが一番これが知名度が高かったのと、感動したあのシーンを自分達が再現してみたいと思ったのが決め手となった。
 原案となるものはすでに第1回全体委員会の日までにあり、今度は具体的にどうやっていくかを考えていった。まず台紙となるものをB4紙とし、それに2cm×2cmの桝目を印刷した。折り紙はパソコンで15cm×15cmの枠の中に2cm四方の正方形を書いて行って1枚1枚印刷した。あとはひたすら切って貼っていく作業が続いた。貼る作業は桐陰祭の前日まで続いた。そしてできた台紙をつなぎ合わせる作業を始めたのは9月に入ってからであった。最初は糊付けをして最後にガムテープを貼っていった。全体をつなぎ合わせは屋上で行った。
 展示する場所は前庭側事務室上の壁に決まった。ひもの固定は屋上、3階の窓、2階の上の窓の3ヶ所で行った。上の固定は4mの角材を2本をつなげて使った。これは元々下の固定をする際、丸いものより角があるほうが固定しやすいと思われていたためなのだが結局下の固定にはひもだけだったため特に角材にするメリットはなかった。(下の固定をしなかったのはおろす時に角材があると窓を直撃して割ってしまう可能性があったのと展示中に風などで落ちた時に下にいる人が巻き込まれてしまう危険性があったため)
 展示の仕方についてだが少しでも雨や風など天候が優れていない時は極力展示を避けたほうがよいだろう。今年は1日目の朝に雨が降っていてやむのを待ってからやったのだが、屋上がまだ濡れていたため一部の紙が破れたりしてしまった。その後、雨の心配はなかったものの風の心配が出てきた。そしてとうとう上の部分が切れてしまい外での展示はそれっきりになってしまった。その後回収したモザイクアートを体育館に運んで修正をしたあと今度は体育館に吊るした。しかし体育館だと高さが足りなかったため下の文字がちゃんと見えなかった。しかしとりあえず2日目もそのまま体育館で展示した。
反省
 反省としてはあまり計画をもって実行できなかったことが最大であろう。人手不足もかなり今年はこたえた。今年は初めてということもあってモザイクアート自体どういうものかわかってもらうことができなかったたが、来年は少しは今年のを見て理解してもらえたのでまだ人手が増える思う。
責任者の感想
 何事も最初は大変で、今年は本当に色々な人に負担を与えてしまいました。しかし、モザイクアートは私にとって最高の思い出となりました。たしかに苦労はたえなかったし、色々な人に迷惑をかけましたが、それだけに完成したときの感動は大きかったです。半分意地になってやっていたのですが、やって後悔することはありませんでした。そして何より忙しいところ色々とアドバイスをくださった守口北高校の先生、本当にありがとうございました。


作品データ

1999年9月11・12日発表
東京都・国立筑波大学附属高等学校文化祭実行委員会
モザイク壁画
400×300(ピクセル)×8(色)